2013年6月8日土曜日

北高百年史1 「1911年 母校の誕生」 The birth of our school in 1911



1911年、この年、わたしたちの母校、長浜北高校の前身、長浜女学校が創立されました。

正式名称は、長浜町立長浜実科高等女学校。1911年(明治44年)3月20日、文部省から設置の認可が下り、同年4月1日に開校。4月17日に授業を始め、6月1日に創立開校式を挙行しています。

時系列で見る限り、てんわわんやの感じがします。女学校を創ってみたら、思いがけない数の生徒が集まり、授業開始が遅れ、開校式も後日、少し落ち着いてからようやく...そんな事情があったのかもしれません(あくまで想像です)。

開校当時の校舎は、旧長浜開知学校の校舎。

この建物は、現在も長浜市内に現存し、1階でバーが営業しています。文明開化の昔をしのばせるクラシカルな建物。なかなか風格があります。3階建ての校舎のてっぺんには、六角形の太鼓楼が載っていました。その形状がインク壷を思わせることから、われらが母校は、「インキ壷女学校」と呼ばれることもあったそうです。

翌、明治45年(1912年)、4月1日、長浜女学校は、正光寺というお寺を仮の寄宿舎に指定しています。長浜市外からも、女学校で学びたいという生徒がたくさん応募してきたのでしょうね。


さらに、7月10日には、生徒の増加に伴い、隣接地の民家を借りて、普通教室及び割烹教室(料理教室:調理実習室)としました。

開校からわずか1年3ヶ月で教室借り増し。この記録からも、想定以上の学生が集まったことが分かります。
明治の昔に、女学校に行くというのは、大変なことだったようです(経済的にも、学歴の点でも)。
そのような時代に、長浜女学校の人気の高さには驚かされます。当時の長浜市とその周辺地域の人々が、子女に高等教育を施すことについて、いかに熱い思いを抱いていたかが分かります。
地域の人々の教育に対する情熱が、私たちの母校、長浜北高校を生んだのです。



同時代の世の中の動きを見ると、明治45年に、明治天皇が崩御されています。
幕末の動乱から維新の断行、日清日露の戦いを通じて、わが国を統治された明治天皇の下、極東の小国であった日本は、列強諸国に比肩しうる強国へと発展します。

日清戦争勝利の賠償金を活用して起こった第一次産業革命は、わが国の繊維工業の躍進をもたらしました。濱ちりめんの生産地、長浜は、国の基幹産業の一大中心地でした。そこからもたらされた富が、長浜市民を豊かにし、その結果として、教室にあふれるほど多数の生徒が長浜女学校に集まったのでしょうね。


(北高百年史 続く)

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