2016年10月23日日曜日

母校の校地(山階町)と申楽山階座(さるがくやましなざ)


現在、長浜北高が立地している滋賀県長浜市山階町(やましなちょう)の校地について。
中世、室町時代、この山階の地には、申楽/猿楽(さるがく)の『山階座(やましなざ)』の本拠地がありました。猿楽の一座は神社を拠点としていたことが多く、猿楽山階座も長浜北高の西に隣接する伊吹神社とゆかりが深いようです。伊吹神社には、山階座で使われていた鬼の面が社宝として今に伝わっています。


猿楽は当時の公家や武将が愛好した舞台芸能で、山階座も足利将軍の御前で猿楽を披露したとの記録があります。室町初期、大和(奈良)と並んで猿楽が盛んだった近江(滋賀)には、上三座・下三座の6座が活動していました。上三座とは、長浜市山階の山階座、下坂座、大津市坂本近辺の比叡座の3座をいいます。一方、下三座は、多賀の敏満寺(みまじ)座、蒲生町の大森座、水口町の酒人(さかうど)座のこと。
六座のうち、二つが長浜にあったというのもすごい話です(山階座と下坂座)。
曳山祭りの子供歌舞伎で知られる長浜ですが、昔から舞台芸術に関心の高い土地柄なんでしょうね。


山階座をはじめとする近江の上三座については、能の大成者として有名な世阿弥の書いた『風姿花伝』でも「江州日吉御神事相随申楽三座」として言及されています(『風姿花伝神儀編』)。それほど、有名だったと言う事でしょう。
幽玄や枯淡の味わいを重視する渋い能楽とは違い、猿楽は、もっとにぎやかで猥雑な感じ。
今のミュージカルやショーのようなノリかな。
足利義政をはじめ歴代の室町将軍や大名、公家達が猿楽を好んだのも、多人数ではやし立てる猿楽のにぎやかさや豪華な衣装を着て舞う華やかさが、権力者好みの芸能として受けたのだと思います。


※室町時代、足利義政邸における猿楽興行の図
 (錦絵「東山殿猿楽興行図」貞秀 江戸時代後期〔国立能楽堂所蔵〕)


私たちの母校の土地は、まさに中世芸能の最先端の中心地だったわけです。
今、演劇部やブラスバンド部が日々練習に励んでいるその場所で、はるかな昔、猿楽師たちが芸に磨きを掛けていたことでしょう。
そして、伊吹神社の祭礼の日などに、この山階の地に人々が集って、にぎやかに猿楽の興行が開かれ、人々を楽しませたに違いありません。
たとえば、こんな感じです。




 五月、田植えの終った頃
 夕暮れ~夜更けにかけて
 伊吹神社に隣接する現在の北高の場所
 仮設舞台
 燃え盛る薪のはぜる音
 上座に威儀を正した神職や武士達
 平土間には大勢の老若男女
 ひそかなざわめき
 馥郁たる香のかおり
 心地よい風に乗って漂う出店の焼き物の香ばしい煙…

 【申楽興行演目】
 口上 (プロローグ、スポンサーである地元豪族上坂氏または垣見氏への賛辞)
 猿楽 (歌と踊りのショー)
 神話劇 (伊吹神社の由来や地元の伝承をベースにした寸劇)
 猿楽 (歌と踊りのショー)
 悲劇または歴史劇 (ヤマトタケル神話を題材にした作品)
 猿楽 (歌と踊りのショー、殺陣など)
 喜劇 (物まね、当時の世相の風刺劇、ショートコント)
 猿楽 (歌と踊りのショー)
 口上 (座長あいさつ、伊吹神に捧げる祝詞、五穀豊穣への祈り) 





こんな感じだったのではないでしょうか?(猿楽についての文献を参考に想像)
放課後、夕暮れの光と影の中、北高の地に立ち耳を澄ますと...
どこか遠くの方から、ちゃんちゃかちゃんちゃか、にぎやかなお囃子が聞こえてくるかもしれませんね…


ところで、同じ近江6座のうち、多賀座は、現代も活動を続けています( → 近江猿楽多賀座のサイト http://www.tagaza.com/ )
長浜の山階座も、ぜひ、現代に復活してもらいたいものです。
絶好の町おこしになると思うのですが、いかがでしょうか?

そして、北高が移転した後の校舎に復活山階座のオフィスと稽古場、小劇場を置く...すばらしい計画だと思うのですが、夢のまた夢かな?