2015年10月7日水曜日

母校OB坂口志文先生のご経歴とご研究について

長浜北高OBで、ノーベル賞候補と目される坂口志文(しもん)先生のご経歴とご研究テーマ「制御性T細胞」についてまとめてみました。
本年(2015年)3月に、医学に関する最も著名な賞の一つガードナー国際賞に選ばれた大阪大学の坂口志文教授。

ガードナー国際賞は、カナダのガードナー財団から医学で顕著な発見や貢献をした研究者に与えられる学術賞です。この賞は、毎年3名から多い時でも6名ほどしか受賞されず、ノーベル賞の登竜門ともいわれています。

坂口先生のガードナー賞受賞理由に「制御性T細胞」の発見が挙げられています。
この「制御性T細胞」とは?

その前に、まずは、坂口志文先生のプロフィールから。

名前: 坂口志文(さかぐち しもん)

生年月日: 1951年1月19日

出身: 滋賀県

経歴
1969年 滋賀県立長浜北高等学校 卒業(第17期)
1976年 京都大学 医学部 卒業
1976年 医師免許取得
1983年 京都大学 医学部にて博士号取得
1995年 東京都老人総合研究所免疫病理部門部門長
1999年 京都大学 教授
2006年 京都大学 再生医科学研究所所長
2011年 大阪大学 免疫学フロンティア研究センター教授
2012年 大阪大学 教授

主な受賞歴
2005年 武田医学賞
2008年 慶應医学賞
2012年 朝日賞
2015年 ガードナー国際賞

京大医学部卒業後、坂口先生は大学院へ進学されます。

その当時、愛知県がんセンターにいた西塚泰章先生が研究されているマウスの胸腺摘出で色々な臓器に炎症が起きる現象の研究に興味を持ったためでした。そして、愛知県がんセンター研究所の研究生として3年ほど在籍することになります。

この頃から免疫とT細胞に関する坂口先生の研究が始まりました。

しかし、1980年代は坂口先生にとって冬の時代だったと言われています。

1980年前後に注目されていたのが「サプレッサーT細胞」でした。
サプレッサーT細胞は、リンパ球の一種として考えられ、免疫反応を抑制し終了させる機能を持つと考えられていました。そして、当時は世界でも多くの方が研究をしていました。

ところが、1983年~84年頃の研究により、サプレッサーT細胞は結局存在しないという結論が導き出されたのです。

坂口先生が研究されておられたT細胞は、サプレッサー細胞とは別物なのですが、サプレッサー細胞が結局存在しないことが明らかになったこともあって、坂口先生のT細胞に関する研究までもが、冷視されるようになります。「まだT細胞の研究してるの?」といった空気が学会にあったのです。

それでも、坂口先生はT細胞についての研究を続けました。

マウスの実験を通して、自己免疫病を起こすT細胞の実在についての確信があったからです。

坂口先生は、自身の発見したT細胞を「制御性T細胞」と名付けましたが、以上のような経緯があったため、抑える(サプレッサー)と言う語を避けて、レギュラトリー(制御性)という言葉を選んだわけです。

この「制御性T細胞」が一躍注目を浴びるようになったのは、2000年に入ってからのこと。

坂口先生は、約20年間もまったく陽の目をみない研究を、地道にコツコツと続けてこられたのです。


それでは「制御性T細胞」とはどのようなモノなのでしょうか?

そもそも、リンパ球の働きについて、現在の免疫学では3つの考え方があります。


1.自分に反応するリンパ球が出てきても、すぐに壊されて排除される。

2.自分を認識するリンパ球はいるが、反応しないように不活化される

3.誰の体にも自分に反応するリンパ球がいるが、悪いことをしないように別のリンパ球が抑えている


この3つ目の説を証明するのが制御性T細胞ということです。


マウスを使った実験では、「制御性T細胞」というリンパ球を取り除くと様々な病気にかかってしまうことがわかり、逆に「制御性T細胞」を補うことで、様々な自己免疫病が抑えられることが明らかになりました。

つまり、病気になる原因として、「制御性T細胞」と、自分の体を攻撃する「自己反応性T細胞」のバランスが重要であることが証明されたのです。
その後、「制御性T細胞」による免疫制御の仕組みに注目した研究が世界中で進むようになりました。

「制御性T細胞」をうまく操作することで、様々な自己免疫病、炎症性疾患、ひいては、がんの治療の可能性が開けてきます。

坂口先生による「制御性T細胞」の発見は、まさに、未来の医療につながる画期的な医学上の発見だったわけです。

さて、今後に期待するのはノーベル賞!

先生ご出身の長浜市や母校の長浜北高でも期待が高まっていますが、現在研究活動をされておられる大阪大学からの受賞は初とのことで阪大でも話題になっているようです。

私たちの高校の先輩が、医学の分野で重要な発見をし、国際的に高く評価されているというのは本当に誇らしいですね!



2015年9月25日金曜日

長浜北高OB坂口先生、ノーベル賞受賞有力!




長浜北高からノーベル賞受賞者でるか?!

今年のノーベル賞生理学・医学賞に、北高出身の阪大・坂口先生のノーベル賞受賞が有力視されています!
坂口 志文(Sakaguchi Shimon)先生は昭和44年/1969年に長浜北高を卒業された先輩です(第17期)。 
現在は、大阪大学免疫学フロンティア研究センター(WPI-IFReC)教授/副拠点長・大阪大学 特別教授。
主なご業績は「制御性T細胞と転写因子Foxp3の特性と機能に関する独創的な発見」。




以下報道です(2015/09/24 日経)。



米調査会社のトムソン・ロイターは24日、論文の引用数などから予想したノーベル賞候補者18人を発表した。日本人では生理学・医学賞に大阪大学の坂口志文特別教授(64)と京都大学の森和俊教授(57)を挙げた。


坂口氏は免疫が暴走しないように抑える「制御性T細胞」を発見した。森氏は細胞にある「小胞体」と呼ぶ器官内で異常が起きたたんぱく質が選別、修復される仕組みを見つけた。


2015年のノーベル賞は生理学・医学賞が10月5日、物理学賞が6日、化学賞が7日にそれぞれ発表される。





関連ニュース: http://www.sankeibiz.jp/business/news/150925/prl1509251124058-n1.htm











2015年5月24日日曜日

県立高校統合を巡るこれまでの経緯


2011年/平成23年7月、滋賀県教育委員会は「滋賀県立高等学校再編基本計画案」を公表します。これにより、北高と長高を統合するという県教委の方針が明らかになりました。
北高OB/OGは猛反発し、「長浜北高を守る会」を結成。精力的な反対運動を展開します。結果的に、統合そのものを阻止することはできなかったものの、北高卒業生の力と団結を強く印象付ける結果となりました。この歴史を決して忘れてはなりません。改めて、この時の反対運動にご尽力された諸先輩方に敬意を表するとともに、以下、県立高校統合を巡るこれまでの経緯を振り返り確認したいと思います。


2011年/平成23年7月の県教委による「滋賀県立高等学校再編基本計画案(以下、基本計画案)」の背景には、急激に進行する少子化がありました。即ち、県内の中学校卒業者数は、1990年/平成2年3月の20747人をピークに減少を続け、2012年/平成24年3月の卒業者数は14226人にまで落ち込むに至りました。実に、6521人もの減少です。
基本計画案の発表に先立ち、県教委は、2008年/平成20年に「県立学校のあり方検討委員会」を設置、さらに、2010年/平成22年には「第23期滋賀県産業教育審議会」を開いて、県立高校の改編に向けて準備を進めていました。


基本計画案では、「特色ある学校づくりの推進」と「学校活力の維持向上」を基本に、1学年6から8クラスを標準規模としました。学級数の小さな高校では部活動や学校行事等で制約が生じ、学校活力が低下するというのがその理由です。その上で、県下全日制高校46校のうち4校を対象とする県立高校の統廃合を打ち出しました。私たちの母校・長浜北高校はその4校の内の1校になってしまいます。長浜北高と長浜高校は、2014年/平成26年度に統合される予定であることが明らかになったのです(他に、彦根西高校と彦根翔陽高校も同年度に統合予定として発表されました)。


「北高は長浜高校と統合され、新校の校地を長浜高校に置く...」、県教委のこの案は両校の関係者を驚愕させました。北高の卒業生からは母校と校舎がなくなるという失望感から強い反発の声が上がります。計画案が発表されるや北高OB/OGを中心に「長浜北高を守る会」が発足。また、長浜市長や市議からも唐突な計画だと反対意見が出され、県教委に基本計画案の白紙撤回を迫りました。彦根市からも強い反対意見が出たこともあって、平成23年10月の県議会は「少なくとも今後1年以上の時間をかけ、更に慎重な検討を続けるよう、強く求める」との決議を全会一致で行いました。


広範に及んだ反対運動と県議会の議決を受けて、2011年/平成23年11月、教育委員会は県立高校再編計画策定を1年延期することを決定しました。一方、長浜市は県教委に市民の意向を盛り込んだ提言を行うため、同年12月に「長浜の未来を拓く教育検討委員会」を設置、翌2012年/平成24年6月、再編計画策定の手続きに関する第1次提言を行いました。さらに、9月には、新校のビジョンを盛り込んだ第2次提言を発表しました。


2012年/平成24年10月1日、再度、県教委は、県立高校再編計画案を発表します。統合される4校に変更はないものの、統合時期を原案(基本計画案)より2年遅らせ、2016年/平成28年度としました。長浜統合新校の体制については、1学年8クラスの普通科単独の進学校で、英語教育のモデル校とすると発表されました。さらに、開校後5年を目途に運営実績を見て「中高一貫教育校」を設置、校地は現長高の敷地を当て、校舎は新増築されることになりました。この新たな案は、かなりの程度長浜市の提言を取り入れたものでしたが、市が要望していた校地(JR長浜駅北の近江セーレン工場跡地)は認められませんでした。県教委は県内各地で県民や保護者に計画案の説明会を実施。12月20日、臨時教育委員会は県立高校再編基本計画を正式に決定しました。


その後、県教委は、長浜統合設置懇話会を設置し、北高及び長高の関係者を含むメンバーによって統合新校の校名・校章・カリキュラム他をめぐる議論を行ないます。ところが、長浜統合新校の校名について、これを「長浜北」とする県教委の推薦案が発表されると、長高関係者は強く反発し、同窓会を中心に校名案の白紙撤回を求める動きに出ます。長浜統合新校の設置懇話会も中断を余儀なくされます。旧校名を採用すべきではないという長高側の主張に対し、長浜統合新校の校名「長浜北」は旧校名ではなく「長浜」と「長浜北」の校名が一体となったものであるとの主張も展開されました。紆余曲折を経て、2015年/平成27年3月、滋賀県議会は長浜統合新校の校名を長浜北とする案を含む県立高校再編に関する条例改正案を可決しました。

その後、懇話会が再開されるものの、校章・校歌をめぐる議論でまたもや紛糾し中断。懇話会での軋轢は2016年開校目前の統合新校の先行きに暗雲を感じさせる状況となっています。


以上、私たちの母校長浜北高と長浜統合新校をめぐる直近数年間の経緯を確認してきました。
改めて思うに、本当に大切な事、あるいは、わたしたちが立ち返らなければならない原点は、在校生こそが主役なのだと言う事以外にありません。なぜなら、今まさに母校の歴史を刻んでいるのは彼ら彼女らに他ならないのですから。この原点を忘れる事無く、新しい母校で学ぶ在校生が優れた教育をうけ、その人格を陶冶し、母校が輩出してきた多くの優れた人材にも劣らない社会人となる、そのための確かな母体となる学校を作ってほしいと思います。

2016年/平成28年にスタートする統合新校が、母校百年の伝統をしっかりと受け継ぎ、更に飛躍し発展するよう切に願ってやみません。



2015年4月17日金曜日

応援メッセージ 4/18 栗東戦に向けて

明日(4/18) は、いよいよ、2015年度の春季滋賀大会2回戦、栗東戦です。

湖東スタジアムにて。



過去の対戦履歴を見ると、北高野球部は過去2回栗東野球部を撃破しています。

2011年秋 秋季滋賀県大会 1回戦 長浜北 10 - 0 栗東

2007年春 春季滋賀県大会 2回戦 長浜北 5 - 2 栗東


敵は、意地でも勝とうと向かってくるに違いない。


ガンバレ!長浜北高野球部!



敢闘勝利!北高ナイン!


伸び伸びと、おもいっきり、悔いのない野球をして、かっ飛ばして下さい!

栄光の北高野球部!

北高の勝利を!







2015年1月14日水曜日

滋賀県立長浜北高等学校 卒業年次総覧( 旧制含む通期バージョン & 統合新校最初の卒業生を含む )


2016年4月1日、長浜高校と長浜北高が統合し、


統合新校としての 『 滋賀県立長浜北高等学校 』 が発足します。


同年4月1日に入学する生徒達は、統合新校として初の新入生。


そして、2017年3月には、新校として最初の卒業生を送り出すことになります。


新校としては初の卒業生ですが、彼ら彼女らは、


1世紀を超える母校の歴史の中にしっかりと位置づけられねばなりません


そこで、1911年から2017年までの卒業生(見込・予定を含む)の一覧を作成しました。


長浜統合新校最初の卒業生は、母校第105期の卒業生となります。


母校の卒業年次を改めて一覧にしてみると、我が校史の長さと厚みに圧倒される思いです。


深い感動を覚えました。


改めて!


母校100年の歴史を、未来へ!