1911年の母校創立から10年、長浜町立長浜女学校は、長浜町から滋賀県に移管されることになりました。
1922年(大正11年)4月、母校は、滋賀県立長浜高等女学校と校名を改めます。
滋賀県立長浜高等女学校は本科及び補習科を設置、園田愛之助先生が第四代校長に補せられました。
当時を振り返って、園田先生が同窓会誌に書いておられます。
「我が長浜高等女学校は明治44年3月町立として創立されてから10年あまりの星霜を閲(けみ)して、その間著しい進歩の跡を止めて居る。
形式上から云っても初め実科高等女学校として設けられたものが、大正9年には高等女学校となり、次いで本年4月町立から県立へと移管されたものでその規模は甚だしく拡大さるる事となった。
此間4人の学校長と多数の職員を送り迎え、卒業生は巳に460名を出し、現在300余名の在学生を収容して居る次第である」 (園田愛之助先生 「会誌」第7号)
1922年(大正11年)6月1日には、母校の創立十周年の記念式典が開催されました。
式典の模様は、同窓会誌に詳細な記述があります。
「風向晴麗なる琵琶湖畔の長浜の地に呱呱の声を挙げし我校は早や既に九つの春秋も過ぎ、茲に目出度十をの夏を迎へました。
本校開けてより以来、月に日に発達し此に本年6月1日を以って満十周年記念式並に宮先生の傾聴式が、いと厳かに挙行されました。
当日は、梅雨のならいとて雨は朝から霏々として降り、世は湿り勝ちな気分に漲って居りましたが、我等喜びに満てる三百のはらからは意気揚々として式場に参列致しました。
10時校庭に響き渡る鈴の合図に、来賓始め先生方の着席終り、めかしきピアノの音につれて君が代の合唱が始まり、いよいよ式典は開かれました。
校長先生のいと懇なる式辞が終り、続いて来賓方の祝辞と、目録の順を追うてはこれば、今日の佳日を祝す同窓の歌に式は終りを告げました。
尚又ここに強の佳日を卜して宮先生の傾聴式が挙行されました。先生は本校開けてより以来十とせの間誠心を以ってご勤務遊ばし、恰も十年一日の如く学校を思い、又我々のために熱血をしぼってお尽し下さいました。
その御事を深く感謝し、又その御徳をほめたたえ申し上げ、尚先生に幸多かれと祈るうちに、タイムは流れやがて校長先生の閉会の辞に式は終り、生徒一同は楽しく解散致しました。
来賓及び先生方には2階に於いて盃を挙げられ、後三々五々打連れ立ちて解散されました。
棋くして雨そぼふる中にも盛んに、且森厳に、楽しき祝典は終を告げました。」
(杉本悦子先輩 「会誌」第6号)